遠回りしたからこそ開けた道~女流和菓子家・御園井裕子さんが生み出す自由で美しい「手毬」の創作和菓子
日本の伝統美に洋の美的感覚を取り入れた自由な発想の和菓子で注目を集める女流和菓子家がいます。鎌倉市・坂ノ下にある「手毬」の御園井裕子さんです。手毬の形に日本の伝統的な市松模様をあしらった「市松手毬」は意匠登録もされ、その美しさは多くの人々の心を捉えています。
和菓子といえば伝統が重んじられる世界。御園井さんも和菓子の道一筋だったのかと思いきや、会社員、教師、司会業とさまざまな職種を経験してきたのだとか。なぜ和菓子の世界に入ったのか、しきたりを大切にする業界でどのようにして自身の道を切り開いたのか、御園井さんにうかがってきました。
女流和菓子家・御園井裕子さん
何事にもチャレンジ。たどり着いた和菓子の道
御園井さんが和菓子の道に進んだのは20代後半。さまざまな仕事を経験し、私生活では一児の母となってからのスタートだったといいます。
「私は昔から人一倍好奇心が強いところがあって。“人生は一度きり、やりたいと思ったことはとりあえずやってみよう”とさまざまなことにチャレンジしてきました」と御園井さん。
大学卒業後はスポーツ関連企業に入社し、スキー選手になることを志していたのだそう。しかし、プロの壁は厚くその夢は断念。もう1つの夢であったアナウンサーに挑戦したといいます。希望のアナウンサーの道には進めなかったものの、婚礼などの司会の仕事をするように。そして同時に、教員免許を持っていたことから小学校で臨時教員として働いてみたそうです。
自身の道を模索していた御園井さん。そんな中でたどり着いたのが和菓子の世界だったといいます。子育て中に出会った本をきっかけに和菓子の美しさに魅了され、最初は趣味の1つとして独学で作りはじめたのだとか。
知的好奇心が抑えられなくなった御園井さんは、製菓学校で本格的に菓子作りを学び、和菓子の道へ進むことを決意。ただ、この時もまだ自分の道という確信は持てていなかったそう。後の出来事が御園井さんの心を決めることとなります。
練り切りを作る際に使用する道具
和菓子の世界での苦悩と自身の道の開拓
製菓学校卒業後、和菓子店で職人として働き始めた御園井さん。そこで、ある壁に直面します。当時、和菓子の世界はまだまだ男性の職場。女性である御園井さんは和菓子作りをさせてもらえず、店頭販売ばかりを担当していたのだとか。
時だけが過ぎていくことに葛藤を抱いていた御園井さんは、男社会の和菓子の世界において、女性の自分だからこそできることはないかを模索。まずは、自分が本当に「美しい」と思うものを作ってみようと考え、職場で職人の技を覗き見て、自宅でデザインを考え作ってみるという日々を過ごしたといいます。試行錯誤する中で、御園井さんの和菓子が少しずつ形作られていきます。
そんな時、以前の職場である小学校から教員向けの講習として和菓子を教えてくれないかという依頼が舞い込んだそう。50人もの先生を対象に教えることに、やや不安を抱きながらも挑戦した御園井さん。この経験が、御園井さんの進む道を決めることとなります。
「皆さんが真剣に、とても楽しそうに取り組んでくれていたんです。和菓子が皆さんにとって素敵な出会いになっている、こんなこともできるんだって…。その時、私なりのやり方で和菓子というものに携わっていけるかもしれないと思ったんです。そして、この世界でやっていこうと覚悟が定まりました」と御園井さん。
こうして、和菓子店での職人という形ではなく、自身の和菓子をつくり、その楽しさを多くの方に伝える“和菓子家・御園井裕子”という道を歩み始めます。
気軽に伝統文化に触れることの楽しみを教えてくれる御園井さん
「手毬」の創立
北鎌倉にあるシェアアトリエハウス「たからの庭」で和菓子教室を開催するようになった御園井さんは、自身の会社「手毬」を設立し、本格的に活動をスタート。練り切りという上生菓子を中心に和菓子作りを行っていきます。日本の伝統的な技法をもとに、御園井さんの感性によって生み出される美しい和菓子は、口コミで徐々に広がり、多くの方々が教室に参加するように。
鎌倉の作家仲間の誘いで参加した海外イベントにおいては、コーヒーなど洋の風味を加えた和菓子を披露。その味わいと芸術品のような和菓子に、海外の方からも感嘆の声があがっていたようです。こうした枠に捕らわれない御園井さんの和菓子はメディアでも取り上げられ、広く知られることとなります。
「たからの庭」で開催していた和菓子教室も毎月満席が続くようになり、より多くの方が参加できるようにと鎌倉市・坂ノ下に工房兼教室開催の場として「手毬」をオープンさせます。
「自分磨きのために参加される方、観光の合間に立ち寄ってくださる方など、皆さん、さまざまな目的でこの場所を訪れてくれています。気軽に和菓子に触れ、楽しんでくださっていることがとっても嬉しいですね」と御園井さん。
自身の作家活動を通して和菓子の世界に新たな風を吹き込み、より開かれたものとして多くの方に和菓子の魅力を伝えています。
海と山に囲まれた坂ノ下にある「手毬」
「手毬」の和菓子の徹底した美のこだわり
御園井さんの和菓子を購入したいという声も多かったことから、「手毬」には販売・カフェスペースも設けられています。ただ、お店の形態ではなく、御園井さんの和菓子を見ることのできる展示会場のような空間となっています。あくまで和菓子に触れていただく場所という位置づけだといいます。和菓子の世界で職人と競合するのではなく、自身の活動をしていきたいという御園井さんの想いを感じます。
常時15種類程並ぶ練り切りは、季節の花々や果物を模ったものから、かわいらしい動物モチーフのもの、そして時期に合わせてクリスマスのリースなんてものまで…。自由な発想の和菓子はどれもが美しく、愛らしく、ずっと眺めていたくなるほどです。
淡い色合いが特徴的な「手毬」の練り切り
クリスマスのリースやトナカイモチーフのかわいらしいものも
御園井さんの作り出す練り切りの魅力の1つが美しい色彩。絶妙な色合いを表現するために、全国の製餡所の中から探し出した雪のように白い餡を使用しているそう。この餡をベースに「手毬」にしか出せない豊かな色彩が生まれていくわけですが、使っている色は意外にも黄・緑・青・ピンクの4色のみ。餡や胡麻などの素材の色を考慮しながら4色を配合して、無数の色合いを作り出していくそうです。
「お菓子を召し上がるのが外なのか、お茶室なのかで明るさも異なってくるので、依頼を受けてお作りする際にはそうした点も考えながら色合いを調整するんですよ」と御園井さん。
最も美しい姿で和菓子を楽しんで欲しいという御園井さんの想い、そして和菓子家としてのプライドを感じます。
かわいらしいウグイスの和菓子。爽やかな緑のグラデーションが美しく、春の訪れを感じさせる
心の動きをそのままに映し出す
御園井さんには日々の生活の中で心掛けていることがあるといいます。
「日常の中でも自然に触れた時には、その色や形の美しさを記憶しておくようにしています。例えば1輪のきれいなガーベラが生けてあれば、“ピンクでも紫が強めだな”としっかりと観察し、桜を見た際には“咲き始めの瑞々しいピンクがだんだんと淡くなっていく”その様子の美しさを心に留めておくんです」
和菓子を作る際、そのイメージを絵にする職人さんが多いそうですが、御園井さんは記憶の中にあるイメージをそのまま形にしていくのだそう。「私、絵が苦手なので描けないんですよ(笑)」と御園井さんは話しますが、御園井さんの感動がその温度感のままに映し出されていくからこそ、見るものの心を動かす和菓子が生まれているのかもしれません。
りんごを表現した和菓子。カットした時の瑞々しさが伝わってくるよう
自分なりの感性を大切にしてほしい
現在、御園井さんは和菓子製造を行う企業から依頼を受け、技術指導も行っています。伝統を尊重しながらも、固定概念を取り除いた自由な発想で和菓子作りをする姿勢は、和菓子の世界に影響を与えているようです。
技術指導ではあるものの、技術を教えるのではなく、作る人の心を開放してあげられたらという気持ちで指導にあたっていると御園井さん。
「職人さんのそれぞれの遊び心を大切にして欲しいんです。そこで、例えば梅の花を見てもらい、その色合い、花びらの薄さを心のままに感じてもらう。職人さんがイメージする和菓子での表現とは違うこともあると思うのですが、あくまで自分の見たもの、その感覚を大切にしてお菓子を作るようお伝えしています」
最初は、なかなか自身の表現ができずに苦戦する方もいるそうですが、数年後、その職人さんならでは感性が光る和菓子に出会えることもあり、その瞬間がとても嬉しいのだとか。
今後も伝統を大切にしながら、新たな世代が受け入れやすい形で和菓子という文化を伝えていきたいといいます。
水に溶かすだけで、気軽に和菓子作りができる「練り切りパウダー」を独自に開発。自由な発想で和菓子の文化を広げていく
遠回りも悪いことばかりではない
さまざまな経験の末に、和菓子作家として注目される存在となった御園井さん。遠回りもご自身にとっては必要なものだったのかもしれないと振り返ります。
和菓子を教えるという道に進むきっかけをくれたのは、以前の職場である小学校の先生方。和菓子教室や各種イベントを開催するうえで活きているのは司会業の経験。そんなふうにすべてが今につながっているといいます。
「大事なのは、楽しむという気持ちだと思うんです。これからもその気持ちは忘れず、和菓子家として日本女性の誇りを胸に、自分なりの“美しい”生き方をしていきたいですね」と御園井さん。
さまざまな苦難に直面しながらも、楽しむ力で自分の道を切り開いてきた御園井さん。穏やかな笑顔の中に、凛とした強さを感じます。それは、まさに御園井さんの作る和菓子そのもの。これからも、その美しい和菓子で世界中の人々に驚きと感動を与えてくれることでしょう。
湘南で暮らす人々
本コラム『湘南で暮らす人々』では、この地で生活を営む人々にフォーカス。「やっぱりこの街が好きだ」というみなさん、そして「いつかはここで……」と憧れを持つみなさんと一緒に、多彩なライフスタイルを覗いていきたいと思います。
———––
御園井裕子
伝統的な技法を用いながら、枠に捕らわれない和菓子づくりを行う女流和菓子家。創作和菓子「手毬」を創設し、代表を務める。「手毬」での教室のほか、各地でワークショップを開催し、和菓子づくりの楽しさを広めている。国内のみならず、JAPAN EXPO(パリ2013)など、海外でも積極的に和菓子の魅力を伝えている。手毬の看板商品でもある「市松手毬」は和菓子のデザインとしては初めて意匠登録される。
———––
手毬
神奈川県鎌倉市坂ノ下28-35
●和菓子教室
・創作和菓子一般教室
・四季の会(会員制)
※詳細はHPをご確認ください
●和菓子販売
※営業時間、営業日はHPをご確認ください
[連絡先]
Tel:0467-33-4525
[WEBサイト]
HP:https://temari.info/
Instagram:@kamakuratemari
Facebook:https://www.facebook.com/%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%89%8B%E6%AF%AC-856987367721861/
ライター情報
Tomoyuki Yamaga
海のないところに生まれ、海を求めて湘南へ移住。出版社で雑誌編集者として働いた後、フリーランスとして活動をスタート。趣味は、旅行、街歩き、グルメ、ファッション、ダンス、サーフィンなど。暮らしの中のちょっとした驚きやワクワクを届けたい、そんな思いで活動しています。
特集・コラム
注目の特集やライターによるコラムなど