花と昭和歌謡と時々コーヒー。大磯の町になじむ花屋「烏」の届ける暮らしを彩る時間

JR大磯駅近くの線路沿いを歩いていると「烏」という1軒の花屋が現れます。鮮やかで美しい花々がセンス良く並ぶおしゃれな空間なのですが、店先には昔ながらのタバコの販売所を思わせるスペースがあり、店内には昭和歌謡が流れており、なんだかノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。

“町になじむ場所”そして“人々が交わり、会話の生まれる場所”をつくりたいという店主の半田明日香さんに、ちょっぴり不思議な花屋をオープンさせた想いをうかがってきました。

人々の思い出を引き継ぎ、生まれた空間

ガラス張りの店頭に掲げられた「烏」という文字、店先のタバコ販売所のような空間、その先に見える色とりどりの花々とレコード…。好奇心を刺激する空間に、引き寄せられるように足を踏み入れたのが、今回ご紹介する店舗との出会いでした。

一面の白壁が1枚のキャンバスのように、花々の美しさを際立たせている店内。床にはコンクリート素材を使用し、花材を生けた透明ガラスの花瓶が心地良いゆとりとともに並べられたミニマルな空間は、都会的で洗練された雰囲気なのですが、どこか懐かしさを漂わせています。その要因の1つは店内に流れる昭和歌謡と、壁にかけられたレコードジャケット。ただ、それだけでは無さそう…。このノスタルジックな感覚の正体はなんなのでしょうか。

「実はこの場所は、もともと文具店だったんですよ。80年ほど前からあったようで、店先のタバコ販売所のスペースは文具店として営業していた時のものです。お花や観葉植物を飾っている木製の台も文具店で使われていたものをそのまま再利用して取り入れています」と半田さん。

同店の隣には小学校もあり、町民の方々が行き交う場所。その文具店は、地域に親しまれる場所だったはず。多くの人々の思い出がふっと蘇るような空間にしたいと、当時の面影を残しながら店づくりを行ったといいます。

「実際に、当時文具店を利用していたお客様もいらっしゃって、懐かしんでくれたりするんですよ。逆に、初めていらしたお客様の目には新しく映るようです。そこで、実はこの場所は文具店だったんですよ、なんて会話も生まれたりして。この場所に出会えたことに感謝しています」

  • 文具店で使われていた什器を再利用

  • タバコを販売していたスペース

大磯移住と自身の店

半田さんがこの場所で店をオープンさせたのは2022年のこと。都内の花屋に勤めていた半田さんは、出産を期に退職し、家族で大磯に移住。仕事を再開する際に、家族との時間を大切に、自分のペースで働けるようにと自分の店を持つことを考えるようになったといいます。

「正直不安は大きかったです。近年は、実店舗を持たないでサービスを提供する方法も増えています。そのようなスタイルはコスト面、身軽さなど、メリットも多くあります。ただ、私はやっぱり町の人々と直接触れ合える形がいいなって。店舗に立っていた時のおもしろさが忘れがたいものだったんですよね」と半田さん。

そうして、ご自身の店をオープンさせるために物件探しを始めたものの、なかなか理想とする物件には出会えなかったそう。そんな時に、線路沿いにシャッターの閉まった物件を発見し、“なんだか気になる”と直感が働いたのだとか。ちょうどその物件の前で自動販売機の撤去作業に立ち会っているオーナーらしき人物を見かけ、思わず声を掛けたという半田さん。

「店をやりたいと思っていることを伝えたところ、中を見せてもらえたんです。その時に初めて、そこが文具店だったことを知って。目の前を電車が走り、隣には小学校があり、店先にはポストがあり、立地としてもとても魅力的に思え、なんだかお店ができそう…そう感じて、すぐに店舗として利用できないかを聞いていました」

翌日、オーナーの方から返答があり、店舗として使わせていただけることに。偶然の運命的な出会いが、「烏」の誕生につながることとなったのです。

  • どことなく感じる店舗の違和感が人々を惹きつけている

それぞれのシーンを彩る花の提案

「烏」の店づくりで大切にしたことは、“珍しい・新しい”を強く打ち出した近寄りがたいお店ではなく、大磯という地域の“暮らしになじむ”店であること。刻まれた時間を残す空間づくりのほか、“暮らしになじむ”というテーマは、花の提案にも表れています。

「小さな花びんに1本の花を生けて楽しむ方、大きな空間に映えるようなアレンジを飾って楽しむ方、それぞれ求めていらっしゃるものは異なります。さまざまな花のある暮らしに対して『烏』として彩りを添える提案をすることを大切にしています」と半田さん。

そのために、花を飾るシーン、場所の特徴、花びんの形状などについて丁寧にうかがい、その空間で美しく映える花・アレンジを提供することを心掛けているそう。店舗ではさまざまな色、形、趣の花材を揃え、ふり幅の大きな提案をしています。

取材にうかがった1月は、すでに春の花が並んでおり、1本で飾って春の訪れを感じられるモクレン、桜といった枝物から、スイートピー、パンジーなど鮮やかで美しい花弁が魅力の花々、ゼンマイなどアレンジのアクセントにもなる少し珍しい植物など、多種多様な花材が店内を彩っていました。

  • 店内に並ぶ半田さんの審美眼によってセレクトされた花々

  • 枝物なども複数あり、多様なアレンジに対応

自然への愛と美的感覚

半田さんの提案するアレンジは可愛らしいものから、シックな雰囲気を漂わせるもの、自然のダイナミックさを感じせるものまで、実に多様で、植物の魅力を存分に味わうことができます。自然と会話を楽しむように、そしてアートを制作するように花材を組み合わせていく半田さん。そこには、これまでに触れてきたものの影響があるようです。

「専門学校で写真を学んでいたんです。今思えば、その当時から、山、木々、花などを被写体として、風景ばかり撮っていましたね。緑の多い場所で育って、祖父母もガーデニングが好きだったので、自然は身近な存在だったんです」

自然への愛と畏敬の念を持ち、そして写真のファインダーを通してその魅力を最大限に伝えることを考えてきた半田さん。その手からつくりあげられる世界だということに、納得させられました。

  • 春の芽吹きを感じるようなみずみずしく力強いアレンジ

  • ちょっとした贈り物にも最適な小さなサイズのブーケ

  • 花を飾るシーンや贈る相手の雰囲気を丁寧にヒアリングし、「烏」らしいアレンジを仕上げる半田さん

  • 野に咲く花々の爽やかさを感じるアレンジ

さまざまなきっかけのある店に

「烏」は花屋でありながら、店内には昭和歌謡が流れ、レコードの販売も行っている点にそのユニークさがあります。専門学生時代に出会って、大好きになったという昭和歌謡をシェアし、楽しんで欲しいという想いと同時に、さまざまなきっかけのある場所にしたかったのだといいます。

「花だけだと、どうしても目的が絞られてしまいますよね。もちろん、花を目的に来ていただけたら嬉しいんですけど、それだけでなく、あそこで何かおもしろいことやってるみたいだよなんて言って、気軽に立ち寄ってもらえる場所にしたかったんです」と半田さん。

こうした想いから、レコード販売のほか、月に一度タバコ販売所のあったスペースを活用してコーヒーの販売・提供も行っているのだとか。初回として、二宮町にあるカフェ「e:n coffee」を招き、出張販売という形でコーヒーの提供を行ったところ、多くの人々が足を止め、コーヒーとともに店内の花を楽しんでくれたといいます。

「花はついででもいいんです。コーヒーやレコードを目的に来ていただいて、その時をきっかけに花に興味を持っていただけたら嬉しいですね。誰かにプレゼントを贈りたいという時に、そういえばあそこは花屋だったな、なんて思い出して立ち寄ってくれたら…(笑)」と半田さん。

  • 今後は月に1回、土曜もしくは日曜にタバコの販売スペースでコーヒーの販売・提供を行っていく予定。コーヒーショップのポップアップという形のみならず、町のバリスタ経験者など、さまざまな方とのコラボレーションを考えているのだとか

ちなみに、昭和歌謡の半田さん一押しアーティストは「沢田研二」さんで、中でも「サムライ」という22枚目のシングル曲がおすすめとのこと。メロディーと歌声、醸し出される雰囲気など、昭和歌謡の魅力を味わってもらえればと半田さん。

「昭和歌謡をリアルタイムで聴いてきた方々は懐かしいと思ってくれて、下の世代の方々は新鮮に感じてくれて、そんなふうにして交流が生まれていったら嬉しいですね」

昭和歌謡、そして昭和という熱い時代の話にも、花が咲きそうです。

  • 壁に並ぶ半田さんおすすめの昭和歌謡の名盤

  • 観葉植物とともに並ぶレコード。趣味のお部屋を覗かせていただいているようなわくわく感

日常が楽しく色づく場所に

半田さんには、お客様からいただいく宝物のような言葉があるといいます。

「“花を1本飾ったら、部屋がぱっと明るくなったよ”―そんなお客様の言葉を聞くことができるととても嬉しいんです。花は、ある時には癒しになり、ある時には力を与えてくれます。季節の移ろいを感じて、ある思い出が蘇ったりもします。だからこそ、特別な日だけでなく、コーヒーを買いにきたついでに1本の花を…そんなふうに気軽に生活に取り入れてもらえたら嬉しいですね」

花をもっと身近に、「烏」をいろいろな人が出入りする空間にしたいという半田さん。今後も、様々な業種とコラボレーションをしてイベントを開催したり、ポップアップショップを出店したりすることで、新たな人々との出会いを楽しんでいきたいといいます。

花、音楽、食…日常に彩りを与えてくれるモノとの出会いが待つ「烏」。ふらりと立ち寄れば、ちょっぴり元気になれる、そんな空間が広がっていました。

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