家族とともに、揺らぎながらも前へ ─ 狩猟からジビエ料理と向き合う、大磯「シカノツノ」

高麗山と鷹取山――ふたつの丘陵を背に、駅を挟んで相模湾に面した港町・大磯。街を歩くと、赤茶けた歩道橋に海の気配を感じ、昭和の面影を残したままの新聞販売店が今も変わらず配達に向かう姿に出会う。

風情とともに生活の息付きを感じるこの街で、ジビエカレー店「シカノツノ」を営む熊澤みどりさんは、料理を担うだけでなく、自ら山へ入り狩猟にも携わっています。

豊かな自然と古い街並みが息づく大磯で、命と向き合いながら一皿を生み出す。
そんな熊澤みどりさんの元を訪ねました。

シェアカフェから独立へ。大磯へ導かれた理由

熊澤さんが飲食業を志し、最初にキャリアをスタートしたのは、横浜の鶴ヶ峰にあるシェアカフェでした。

「キャンプみたいに、毎回20人分の食材を抱えて通っていました。行くだけでも1時間以上かかるので、かなりハードでしたね。でも、いい人たちに恵まれて楽しくできた経験は大きかったです。毎回来てくれる方もいて、本当にお客さんに助けられていました。だから続けられたんだと思います」

現在の看板メニューであるスパイスカレーは、この当時から研究し続けてきたものだそう。

そして独り立ちを決意し、自分の店を開く場所として選んだのが大磯でした。

「次に移るならやっぱりここじゃないかと。もしお店がお休みしていた時にお客さんが訪ねてきて、せっかく来てくれたのに他に寄る場所もなかったら申し訳ない。大磯には素敵な場所がたくさんあるので、“何か楽しめる街”に店を構えたかったんです」

シェアカフェの方々に送り出され、今年4月ついに自身の店「シカノツノ」をオープン。
大磯の街に溶け込んでいくように少しずつ名前は広がり、今ではその味とあたたかな空間を求めて、市内外から多くのお客様が訪れています。

クセがなく柔らかい、大磯の恵みを味わうジビエカレー

看板メニューは、ジビエ食材を使ったカレー。
猪肉はそのイメージに反して臭みやクセがなく、ひと口食べるとしっとりとした柔らかさと、奥深い旨みに驚かされます。スープにも独特の余韻があり、どれとも似つかない豊かな出汁の味わいが広がります。

「お客さんからは、まず“驚き”が返ってきますね」

初めての食材に対する驚き、自分たちで獲っていることへの驚き、そしてそれが“大磯で獲れたもの”だという事実への驚き。熊澤さんは、訪れたお客さんには必ず声をかけ、そんな反応とともに手応えを実感していると言います。

「来てくれた人の反応を見たら、『やっぱりこれで良かったんだな』って思えるんです」

シカノツノの原点──狩猟を知るために歩んだ道

狩猟者である父を手助けするため、自分も山に入りたい——。
そう旦那さんから申し出があったのは、2人目の息子さんが11歳になった頃のことでした。

「私は反対しました。家に銃があるなんて、もうおっかなくてしょうがない。それが普通だった環境で育ってきた私と夫との間に、どうしても温度差があって」

狩猟とは無縁の環境で育ってきた熊澤さんにとって、その世界は“イメージでしか知らないもの”。理解が追いつかないことも多くありました。

さらに旦那さんは平日は会社勤め。山に入れるのは休日だけです。
当時はまだ飲食業を始める前とはいえ、育児に奔走している最中でもあり、これからの家族の時間が削られてしまうのではないかという不安もありました。

家に銃を置き、猟犬とともに暮らす事。
家族のあり方そのものが変わってしまうような心配もあり、夫婦の関係が揺らぐほど話し合いを重ねたといいます。
それでも最終的には、「親孝行したい」という旦那さんの想いに押され、狩猟生活を見守る決断をしました。

やがて家族の暮らしに狩猟が少しずつ根づいていく一方で、熊澤さん自身も新たな目標に向けて歩み始めます。
シェアカフェに立つ日々のなかで、「ジビエを使った料理を提供できないだろうか」と考えるようになったのです。

しかし、その値付感覚は一般的な精肉とは全く異なるもの。
ガソリン代、狩猟の手間、加工の工程……。
原価計算は一概に割り出せるものではなく、食材としての価値を知り、納得するためにある決意をします。

「理解するためにも、狩猟に付いてくしかないなと思いました」

ジャンパーを羽織り、長靴を履き、軍手をはめ狩猟犬とともに山へと向かう。そうして初めて踏み入れた世界では、衝撃的な経験が待っていました。

「だからこそ私も」──夫婦で歩む狩猟と料理の覚悟

熊澤さんたちが行う括り罠猟は、発信機が獲物の動きで作動し、それを合図に見回りへ向かいます。アナログな仕組みのため誤作動も多く、掛かっていても気づけないと死なせてしまう可能性があるため、こまめな確認が欠かせません。

ある日、発信機が鳴り、熊澤さんがひとりで見回りに向かった時のこと。罠には100キロを超える大きなイノシシが掛かっていました。

もし浅がかりなら外れて突進される危険もあり、本来は静かに離れるべき場面でしたが、恐怖のあまり思わず逃げてしまいます。

義父が槍を持って駆けつけたものの、イノシシに跳ね返され吹き飛ばされてしまいます。
その後、別の猟師の手でようやく仕留められ、熊澤さんはその間、恐怖で木陰に隠れるしかなかったそうです。

「このまま突進してきたら私は死ぬ。小学生の息子がいるのに自分は何をやってるんだろう、と思いました」

死と隣り合わせの体験を通して、狩猟が命懸けの行為であることを痛感した熊澤さん。今でも、複雑な思いを抱え続けていると本音を溢します。

「私は何をやってるんだろう、っていう葛藤でしかないですね。自分が殺したくて殺したわけじゃない。だけど、きっと主人は一生狩りをやめない。家族である限り、私もそれを見て見ぬふりはできないし、料理人として獲った命をきちんと扱い、おいしく作り続けなければいけない——。そんなふうに自分の中で約束をしてしまったから」

狩猟者としてその行為を認め、自らもその一端を担うこと。
料理人としてジビエに責任を持って向き合うこと。
母として、家族の円環を保つために夫の選択を受け入れること。

どれひとつ割り切れるわけではないまま、揺らぐ価値観ごと抱えて進む——。

「ただ、主人が獲ったものを美味しくしたいがために、料理をするためにもその答えを知りたい自分がいるんです。サラリーマンとして勤めながら、辛くても合間に罠を掛けに行く夫の姿をいつも見てるので、だからこそ私もって思うところもあります」

取材当時は11月初旬。まもなく猟期は3期目を迎えます。

命の痕跡を見つめながら──料理人としての覚悟

獲った動物は軽トラックの荷台に積んでで解体所へ。
ご高齢の方が多く人手が必要なため、熊澤さん自身も解体や洗浄の作業を手伝います。

「解体所に行った時に、その個体の本当の姿を知る事になる。脂肪の少ない身体を見て、何も食べてなかったんだなと気付いたり。暴れて木にぶつかった痕を見て、『ここはダメになっちゃったね』と傷跡を確かめたり」

「お肉にしていくとき、その子のことは大事にしてあげたいって思うんです。だから味を必要以上に付けたくない。塩だけで仕上げたり、ローストにしたり、食材そのものが活かされるように料理方法を変えています」

狩猟や解体の作業を経て、動物に対して抱く感情の数々。
命と向き合うことで生まれる思い入れが、ひと皿ひと皿のこだわりにもつながっています。

この街に降ろした、ふたつめの錨

取材の合間、散歩のため大磯港へ。吹き付ける潮風をものともせず、狩猟犬の「コマ」さんが、ときに置いていかれそうなほどの力で熊澤さんの手を引きぐんぐんと進んでいきます。

航海には「走錨(そうびょう)」という言葉があります。
波や風などの外力を受けて、錨が引きずられ流されてしまう事。どれほど留まろうとしても、海はときに抗えぬ力で船を押し流してしまうのです。

熊澤さんが直面してきた問いの数々もまた、家族や生き方の理想を揺さぶる強い“外力”でした。
全てと向き合い確かめようとする彼女の原動力とは何なのでしょうか。

「何故やるのかと言ったら、やっぱり家族でいたいから。家族でいるために模索しながら、今の自分だったらこれが出来るなっていうところで留まっているんです」

もうひとつ、「双錨(そうびょう)」という言葉もあります。
ふたつの錨を投げて係留力を高める事。

家族との暮らしがある場所で、ここ大磯につくったもうひとつの居場所。
それぞれを大切に思う中で苦悩しながらも、引き合う力に支えられて今の彼女があるのだと思います。

澱む雲の向こうにある景色がはっきりと見えるまで、決して目を逸らさない。
シャッターを切り終えふと空を見渡すと、きょう初めての晴れ間が顔を出し彼女の背中をほのかに照らしていました。

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