湘南談義録 -SHONAN casual minutes-

「“この人たちの芯、真ん中を射抜いてるな”って」対談:「TRUST ARCHER」x「【和】nico」(前編)

小田急・本鵠沼駅からはす池の方へと延びる商店街の一角に、こぢんまりとした昔ながらの建物があるのをご存知でしょうか? 昼間は薬膳料理が味わえる「【和】nico(ニコ)」が、そして夜には無国籍料理とお酒が楽しめる「TRUST ARCHER(トラスト・アーチャー)」が、2017年の初めからそれぞれの時間帯でオープンしています。

 

夜にはしんと静まり返っていた商店街に、「TRUST ARCHER」がオープンしてからは陽気な笑い声と赤提灯の光が届くようになりました。しかしながら、もとは「【和】nico」だけが暖簾を掲げていたこの小さな佇まいに「TRUST ARCHER」がやってきた経緯とはどのようなものだったのでしょうか。

現在の体制になってからそろそろ1年というこの頃、それぞれの店主であるしいねけんじさん(「TRUST ARCHER」)とごとうゆみこさん(「【和】nico」)にお話を伺いました。前・中・後編の3話に分けてお送りする今回は、「お店の建物がなくなる」ということ、そしてキーマンとなる2人の共通の友人について語られます。

――よろしくお願いします。本日は「過去」「現在」「未来」という3つのテーマでお話いただきたいと思います。時系列を追って、まずは「TRUST ARCHER」開店までの経緯を教えてください。

しいねさん(以下、ケンジ):
それじゃ、まず僕からお話させていただきたいと思います。僕が以前勤めていたお店を離れることになった時に、ゆみさんが「今年(2017年)いっぱいでここを立ち退かなきゃいけなくなった」っていうことを教えてくれたんです。

湘南に来てから4年ぐらいが経つんですけど、お店の前を通るたびに「カッコいいお店だな」って思ってて。こっちに来たばっかりの時に、中を覗いてみたらごはん屋さんだったから入ってみました。そしたらゆみさんが立ってて、話をしてみたらゆみさんは面白い人だし、お店のスタイルもカッコいいなって思ったんです。そのうち、仲間内でお酒も一緒に飲むぐらい仲良くなって。

それからしばらくして、「勤めてたお店を辞めて田舎に帰ろうと思う」って話をしたんです。僕は福島の出身で、おふくろもそっちにいたので。そしたらゆみさんは「ケンちゃんのごはんを食べたい人がまだいっぱいいるよ」って言ってくれて。

  • ▲ しいねけんじさん(「TRUST ARCHER」)

ケンジ:
ゆみさんは「nico」を週4日だけ、夜もそんなに深くまでは開けない形態でやってたんですね。それで、「ケンジくんのスタイルも取り入れながら、一緒にものづくりやお店づくりをしてみるのはどう?」って声を掛けてくれたんです。

このお店のスタイルが好きだから、話を聞いて「やってみてえな」って。せっかく声を掛けてもらったし、ちょっと大袈裟だけど、お店に人が溢れかえるような伝説を作りたい……みたいな。

このお店、まだ全然やれるじゃないですか。ひょっとしたらやりきれないかもしれないけど、でもまだまだやりたいなって思って。僕は16歳からずーっと料理しかやってないから、“お酒と料理を使ってゆみさんと(お店を)作れたら面白いな”って思ったのが「TRUST ARCHER」を始めたきっかけです。

でも、実はその前にも話があって。

ケンジ:
僕が前に勤めてたお店の常連さんだったヨウスケさんっていう方がいて、ちょくちょくご家族と一緒に来てくださってたんですけど、ある日突然ぱったりと見られなくなっちゃったんです。それから半年ぐらい経った頃に会ったんですけど、すごく痩せちゃってたんですね。

他にも見た目が変わっちゃってて、「ヨウスケさんだよな……?」ってなりつつも声を掛けてみたら「俺、ガンになっちゃったんだ」って。末期のステージ4Bのガンになった、って知らされたんです。

正直信じられなかったんですけど、その頃はちょっとずつ体調が良くなって、ごはんも食べられるようになってたんです。だから「また今度ケンちゃんのメシ食いに来るよ」って言ってくれて。

連絡先を交換してその場は別れたんですけど、それからヨウスケさんとプライベートで遊びに行くようになりました。ヨウスケさんがよく行ってた思い出のお店とかに連れてってくれて、いろんな話をしてくれたんです。

  • ▲ この日は「鎌倉湾産 地蛸刺し」をつまみながらの対談でした

ケンジ:
それで、僕はたまに「nico」にごはんを食べに来てたので、「ヨウスケさんっていう人とこんなお店に行ったんだ」って話をしたり写真を見せたりしてたら「いいなー、私も行きたい」ってなったので、ゆみさんにもヨウスケさんを紹介したんです。そしたらゆみさんもヨウスケさんと仲良くなって、3人で出掛けたりすることも増えました。横浜の「ジャックナイフ」っていう伝説のバスのバーとか、ヨウスケさんの思い出が詰まったお店とか、いろいろな話をしながら連れてってくれたんですよね。

もうなんていうか、精神力がハンパなく強い人だったんですけど、いよいよ時期が来た頃には立ってるのも辛そうで。実は、ヨウスケさんは僕がお店を出すことをめちゃくちゃ応援してくれてて。「ケンジは絶対にいい店を作れる。すげー応援してるから頑張ってくれ。俺も頑張るから」って言ってくれるような人だったんです。

だから「『nico』の定休日にヨウスケさんと奥さまを招待して、2人だけのためにレストランをやらない?」ってゆみさんに相談したら、ゆみさんも「絶対やろうよ」って言ってくれて。それを実現できたのが去年(2016年)の10月17日のことでした。

ごとうさん(以下、ゆみこ):
きっと、ヨウスケさんも(時期が近いのを)感じてたんだよね。「ケンジくんとゆみちゃんのごはんが食べたい」って言ってくれたりしたし。

ケンジ:
そのときは「Bar Jhontos(バル・ホントス、「一緒に歩く」という意味の造語)」っていうお店として2人をお迎えしました。これまでずーっといろんなところに遊びに連れてってもらってて、(ヨウスケさんの)大好物も分かってたから、コース仕立てにして。食べるのも辛そうで、ゆーっくり休みながらだったけど全部食べてくれて。

そのとき“ああ、いまこの人たちの芯、真ん中を射抜いてるな”っていう感覚があって。すごく幸せだったし、“自分がやりたいのはこういうことなんだな”って再認識させてもらったんです。僕は料理しかできないから、料理を通してそういう空間を作りたいな、って。

「Bar Jhontos」を開いた1週間ぐらい後にヨウスケさんは体調をさらに崩されて、亡くなられました。でも、お店に来てくれたときに木彫りのフクロウを僕たちにプレゼントしてくれたんです。ヨウスケさんは植木職人だったんですけど、チェーンソーで木彫りの像を作るのが趣味だったんですよね。

ゆみこ:
でも、その頃にはきっとチェーンソーを持つこともできないくらいだったと思うんです。ご本人曰く、彫りきれてないんだよね。で、彫るのにもやっとの思いでチェーンソーを持ってたみたいで、それでも一生懸命作って持ってきてくれたんです。

ヨウスケさんの好みに合わせて、コースメニューを考えて……あの時はそうやったねぇ。うん。あのときは男泣きを見ました。ヨウスケさんはあんまり泣かれる方じゃないんですけど、あの時は溢れ出るものがあったみたいで。そしたら、ケンジくんもびっくりするぐらい泣いちゃって、ね。

そのとき、“ケンジくんは人の心を動かす料理を作ってる人なんだ”って思いました。わたしもそうやってきたつもりだったけど、改めてこれからもやっていきたいなって。そう、そんなタイミングだったね。

ケンジ:
そう、俺はヨウスケさんと出会えてすげーよかったと思います。“どこにいても常に全力でやろう”っていうスタンスだったからか、もしかしたら「アイツ、いいな」って気にかけてくれて、「俺が知ってる世界を見せてやろう」っていうふうに思ってくれたかもしれないですね。月に2回ぐらい遊びに連れてってもらって、2人だったのが3人になって……っていう流れでした。

ヨウスケさんが亡くなる2日ぐらい前に、僕とヨウスケさんの2人でいろんな話をしたんです。僕が前のお店を離れようと思ったのもちょうどそれぐらいの頃で、いろいろなことが重なったんですよね。“おふくろも向こう(福島)にいるし、田舎に帰って(お店を)始めよう“って。そう思ってたときに、ゆみさんが「どう?」って声を掛けてくれたんです。

お店も、街も、人も好きだし、流れてる空気もすごく自分に合ってる気がして。もう少し(湘南で)やりたいな、って本当は思ってたところもあったから、(お店を)やりたいと。

一時は福島への帰郷を考えていたしいねさん。そんな彼の思いを変えたのは一夜限りのレストランでした。そして、人目もはばからず大泣きする男2人の姿を見て、胸の内に思いを秘めていたごとうさんの心境にも変化が訪れます。彼女は当時、何を思っていたのでしょうか? 中編に続きます。

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