足元に広がる小さな世界を知ることで日常がほんの少し幸せに。鎌倉という地で苔と人をつなぐ「苔むすび」

鎌倉駅から歩くこと10分弱、静かな路地に一軒の古民家があります。一歩足を踏み入れると、そこに広がるのは神秘的な苔の世界。店内には、ガラス容器の中に苔や石、ミニチュアなどを配しデザインされた「苔テラリウム」が並んでおり、小さな世界に壮大な自然の息吹を感じます。

この「苔テラリウム」を制作しているのが、苔の専門家で「苔むすび」を運営する園田純寛さんです。お仕事にしてしまうほど熱い苔愛を持つ園田さんに、苔の魅力、鎌倉という土地と苔の関係について、お話をうかがってきました。

ある映画がきっかけとなった苔との出会い

園田さんが苔に興味を抱いたのは中学生の頃、ある映画がきっかけだったといいます。それはジブリ映画「もののけ姫」。深い森の中のシーンがあまりに美しく、神秘的で、その世界に魅せられたそう。ただ、当時はなぜ自分がその世界に心惹かれるのか、分からなかったという園田さん。とにかくその風景を見てみたいと、ご両親とともにもののけ姫の舞台の1つとされている屋久島の森を訪ねます。

「屋久島といえば縄文杉が有名ですよね。でも、僕はそれ以上に森の中の苔むした景観に感動したんです。とはいえ、この時は、その美しい世界観をつくりあげているのが“苔”であることにはまだ気づいていなかったんです」と園田さん。

植物、森林に深い関心を持った園田さんは、大学および大学院で植物の生理生態、微生物との関係についての研究を行うように。大学院では研究の中で興味を持ち始めていた苔をテーマに定め、本格的に苔の世界に足を踏み入れることとなります。研究の一環で、北欧の森を見に行った時のこと、園田さんは、中学生の時に味わった衝撃を再び感じたといいます。

「北欧の森は木が密集していなくて、光が差し込むので明るいんです。光が苔を照らすことで浮かび上がる風景がとても神秘的で、言葉を失いました。この時、ようやく“苔が美しいもの”と認識できたんです」

これまで自身の心を揺さぶっていたものが何だったのか、はっかりと分かった園田さん。そこから、苔にのめり込んでいくこととなったようです。

  • 圧倒的な自然美が小さなガラスの中に表現された「苔テラリウム」

苔を仕事にする選択

大学院卒業後は、メーカーに就職し、植物から離れた研究を行っていた園田さん。ただ、働き始めても趣味として苔には触れていたそうで、部屋で苔を育てるにはどうしたらよいかを考える中で、ガラスの中に苔の生息する環境をつくって苔を配置する「苔テラリウム」を思いついたといいます。実際につくってみたところ、苔の魅力を存分に感じられるものが完成。

その魅力をシェアしたいとの想いからフリーマーケットに出品したところ、多くの人々が興味を示し、絶えず苔について話すことになったほどだったとか。当時、球状にした土のまわりに苔を巻き付けた苔玉などはあったものの、自然環境に近い形で苔を鑑賞できるものはなく、「苔テラリウム」はその目新しさと、美しさから多くの人が興味を持ったのかもしれません。

「苔テラリウム」を通して苔の魅力を伝えることができると実感した園田さん。自分が深い興味・関心を持つ苔を通して、人々や社会に対してできることがあるのではないかという想いを強め、会社を辞めて「苔むすび」を設立し、活動をスタートさせます。

  • 苔が環境になじんだ時に最も良い状態となるため、数カ月後の姿を想像しながら制作するそう

苔を知ってもらう入口

苔むすびでは、園田さんをはじめとしたスタッフの方々が制作した「苔テラリウム」などを販売しているほか、お客さんが実際に制作できる「苔テラリウム」体験や、プリザーブド加工された苔や植物を用いたテラリウムを制作する「てのリウム」体験、さらには実際に鎌倉の市内をガイドとともに苔に着目して巡る「鎌倉こけ散歩」などのサービスを提供しています。

「苔テラリウム」体験では、ガラス容器の中に用土を敷いて石を配し、育てやすい苔を3種類植え付け、そこに砂やミニチュアを置くなどして作品を完成させます。体験の場では、参加者の皆さんが目を輝かせながらガラス容器の中を覗き込み、自分だけの世界をつくりあげていました。

「普段は苔を意識することがなかった人も、じっくりと眺めることで苔の美しさに気づいていただけるかと思います。実際に触れることで、苔の楽しさや魅力を感じていただけたら嬉しいですね」と園田さん。

「てのリウム」は、プリザーブド加工した苔を使用するため、水やりなどの世話をする必要がなく、より気軽に楽しむことができます。また、使用できる苔・植物の種類が多く、自由に扱えるため、思いのままに表現することが可能。おとぎ話の中のような世界観のものも多く、苔テラリウムとはまた違った楽しみがあります。こうした体験が苔を知る入口となれば、と園田さんは話します。

  • 「苔テラリウム」体験の様子。苔の特徴を聞きながらレイアウトしていく

  • スタッフの方々が制作した「苔テラリウム」を販売。それぞれに全く異なる世界観が表現されている

  • 自宅で制作やメンテナンスする際には、園田さんのご著書を参考にしたい

  • 植物の組み合わせで幻想的な世界観をつくり上げることも可能な「てのリウム」。写真の作品はスタッフ制作のもので購入可能

苔を通して鎌倉の魅力を再発見

「苔テラリウム」や「てのリウム」で苔の魅力を知ってもらうことができたら、今度は生活の中にある苔を楽しんで欲しい。そのような想いから誕生したのが「鎌倉こけ散歩」。

「苔はどこにでも生息できるわけではなくて、適した環境が必要。鎌倉はその条件が揃った土地です。そこで、苔という新たな視点から鎌倉の土地の魅力を感じていただけたらと考えました」と園田さん。

谷戸環境が豊富な地形であること、湿度が高いこと、環境の変化が少なく保たれている社寺が多く存在すること、そして社寺の石段や庭石には水分を含みやすい鎌倉石が多用されていることなどから、鎌倉は苔にとって理想的な土地なのだとか。こうした鎌倉の貴重な資源を多くの人に知って欲しいという想いから、この取り組みをはじめたといいます。

「鎌倉こけ散歩」でガイドを務めるのは、神奈川県立大船フラワーセンターに勤務する高橋優奈さん。植物が大好きで、その楽しさを伝える能力に長けていることからお願いをしているのだとか。現在、「鎌倉こけ散歩」は国指定重要文化財である「一条恵観山荘」の庭園で開催していますが、今後は場所を増やしていく予定とのことです。

ちなみに、園田さんの鎌倉おすすめ苔スポットは、報国寺、浄智寺、妙法寺だそう。こんもりとしたフォルムと色の鮮やかさが魅力の「オオシッポゴケ」が美しい報国寺の庭園、苔との組み合わせが絵画のような浄智寺山門前の池、苔むした石段が神秘的な妙法寺、それぞれの見どころがあるとのことなので、古刹めぐりの際には、ぜひこのポイントに注目して苔鑑賞を楽しんでみてください。

  • 地面や石を這うように伸びる「ツルチョウチンゴケ」や立ち上がって成長する「スギゴケ」など苔の違いを知る楽しみも。苔鑑賞に出かける際は、瑞々しく鮮やかな苔の姿が見られる雨上がりがベストとのこと

苔でよりよい社会の実現

園田さんは、現在、社寺など鎌倉各所の苔庭の施工管理も手掛け、環境に合わせた美しい苔庭をつくり出す活動も行っています。また、苔を活用した緑化技術開発にも注力しているのだとか。管理のしやすい苔を屋上緑化に用いることで、より簡単に低コストでの実施が可能になるため、活用価値が高いそうです。2023年には試験運用を開始し、2024年頃に実用化できる見込みだといいます。

他にも、耕作放棄地で苔の緑化を行うことで環境の再生を図る、苔を活用した地域の活性化を行う、など環境・社会に対してよい影響を与えられるような活動をしていきたいと園田さんは話します。

「苔は小さな存在ですけど、その苔を通して大きな環境を変えることをしていきたいですね。あとは、これからも皆さんに苔の魅力を発信し続けていければと思っています。苔を好きになると、世界の見え方が変わるように思うんです。足元を見るだけですごい世界が広がっている、こんなにも身近に魅力的なものがある、そんなふうに考えると、日常のふとしたことを楽しめたり、感動できたりして…。少し大げさに聞こえるかもしれないですけど、苔にはそんな力もあるんじゃないかな、って僕は思うんです」

嫌だなと思っていた雨の日が、苔を美しく見せてくれる嬉しい日になる。苔を通して生命の尊さを感じることで、環境について少し考えるようになったり、さらには人や自然に対して優しくなったりする。苔がそんなきっかけになることもあるのかもしれません。

「苔むすび」で小さな苔の世界に触れ、苔むした社寺を楽しむ、そんないつもとは違った鎌倉の楽しみ方をしてみてはいかがでしょうか。

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