【あの路地を曲がれば。〜雑誌編集者の鵠沼ライフ〜】

<第5回>古民家を残すために

江ノ電の鵠沼駅から、海まではまっすぐ歩いて20分弱。小田急線の踏切を境に、海のある南側と北側では街並みが少し変わります。明るく開かれ、サーフショップや飲食店が点在する海側に対し、北側は、昔ながらの景観が残る閑静な住宅街。

背の高いクロマツがアーチを作るように生い茂り、玉石や竹で造られた垣根が古い邸宅を守る風情ある佇まいは、明治時代から続いています。明治20年代、鵠沼は日本で最初の別荘分譲地としてスタートしました。御用邸が葉山に決まる前、鵠沼も候補地に挙がっていたくらいで、当時は1区画3000坪単位で分譲されていたと聞きます。都心部から1時間半程度で、相模湾に江ノ島、富士山を望み、潮風が緑豊かな自然のカーテンを吹き抜ける立地は、別荘に最適だったのでしょう。古くは、芥川龍之介や志賀直哉など数多くの文人が逗留し、洋画家の岸田劉生が暮らすなど、文化芸術が育まれた土地柄なのです。

この10年、20年で近隣の景観はずいぶんと変わりました。松林に囲まれたお屋敷がいつの間にか更地となり、建売住宅になっていたり、以前は通り抜けられた道が、集合住宅にふさがれ袋小路になっていたり。緑もずいぶんと減りました。時代の流れや古い建物を残す難しさ故に、致し方ないことなのでしょうけれど、鵠沼らしい風景が失われていくのは寂しい気持ちになります。

私が暮らす祖母宅も、御多分に洩れず、広い敷地と古い家を維持管理する難しさに直面しています。相続税対策で切り売りする案も検討しましたが、90年もこの地に根付き、鵠沼の風情をつくってきた建物と豊かな緑を守りたい、という思いは高まるばかりです。

そのひとつの方策として「登録有形文化財」というものに目を向けました。「文化財」なんて言葉を聞くと、重要文化財や国宝のような国が指定する大変貴重な建造物をイメージしがちですが、「登録有形文化財」は届出制で、緩やかな規制のもと、保存を図る制度です。

「鵠沼の緑と景観を守る会」の皆さんの推薦、藤沢市郷土歴史課の協力、専門家による調査書の作成、文化庁による審査などを経て、2018年3月27日に尾日向家住宅は「国登録有形文化財」の仲間入りを果たしました。1928年建設の洋館・和館は、戦前期湘南の中規模別荘建築の様相を良く伝える邸宅として保存すべきと、価値を見出していただきました。

4月25日には、藤沢市の鈴木恒夫市長による文化財登録プレートの授与式を開催。藤沢市も、古い建造物を地域の資産として保存活用していく活動に協力的です。とはいえ、国からの補助はわずかなもので、維持管理、活用をしていくのは所有者の課題。現状では「非公開」としているので、有形文化財になったと言っても暮らしは何も変わりません。ただ改めて、歴史的価値のある建物なのだと実感し、放ったらかしだった家のメンテナンスに本腰を入れるようになりました。

先日、家の前を掃除していると、散歩中のワンちゃんがガレージでくつろぎ始めました。飼い主の奥さんが言います。「ごめんなさいね、この子、ここが落ち着くみたいでいつも座っちゃうのよ」。ワンちゃんが心地よく思ってくれるとは嬉しい。飼い主さんとおしゃべりも弾みます。市長がいらっしゃるということで、何年ぶりかに本格的に植木の手入れをした姿を見て、「綺麗になってとっても素敵! このあたりの古い家はどんどんなくなってしまうから、ここだけはなんとか残して欲しいと思ってたの」と。

古民家を残すということは、自分たちが気持ちよく暮らすためだけでなく、地域の文化や景観を守ることなのだと思います。

古民家と広い庭は本当に手間がかかることだらけです。けれども、かつてこの家で賑やかに暮らした人々の空気を感じます。庭にはウグイスやメジロ、リス、カエルや亀、たくさんの虫たちの営みがあります。何十種類もの季節の花々や樹木もすくすくと育ちます。子供が遊びに来れば、庭を駆け回り、松ぼっくりを拾ったり、桑の実を食べたり。きっと私の父たちやご先祖さんも、こうして鵠沼の自然の中で感性を育んできたのだな〜と思いを巡らせます。ご近所さんにとっても、通りすがりの見知らぬ人にとっても、心穏やかになる空間として役割を担えているのであれば、嬉しい限りです。

いずれ一般公開をしたり、建物や庭を活用したイベントを開催するなど構想は膨らむばかり。空き家になると、あっという間に蜘蛛の巣が張り、カビ臭くなる古民家も、人が集うことで、息を吹き返したかのように輝きを取り戻すようです。鵠沼らしさが残る場所として、大切に守っていこうと思っています。

 

※「尾日向家住宅洋館・和館」は一般公開されていません。ご注意ください

あの路地を曲がれば。〜雑誌編集者の鵠沼ライフ〜

鵠沼の自然を感じながら暮らす編集者が、湘南での日々の発見や四季折々の姿を紹介します。

当コラムの執筆者、尾日向さんの発行しているスノーカルチャー誌
『Stuben Magazine』の公式ウェブサイトはこちら:http://stuben.upas.jp

ライター情報

尾日向 梨沙

尾日向 梨沙

編集者。東京都出身、藤沢市鵠沼在住。出版社勤務を経て、現在はフリーランスでウィンタースポーツを専門に取材、執筆。2015年に北海道ニセコの写真家とともにスノーカルチャー誌『Stuben Magazine』を発行。スキーと旅はライフワーク。海、山、森と自然に囲まれて過ごす時間が何よりも好き。

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